【黒歴史】僕が大学受験を失敗してから大学3年生になるまでの話 〜長すぎたトンネル〜

ケイマツモトです。

誰にでもいじめられていた過去や思い出したくないできごと、うまくいかなかった期間はあるものです。

僕の場合はそれが大学受験を失敗してから大学3年生になるまででした。

すごく長い暗い暗い、自分がどこにいるのかもわからないトンネルの中にいたような感じ。

親と兄弟に「クスリやってるの?宗教入ってるの?」と言われていたほどでしたねw

そんな僕の黒歴史ですが、こうやってブログに書くことで自分の過去と向き合いたいなと思うのと、読んでいる人の中でも「こんな奴もいるんだな」と思って元気になってくれたらと思い書きます。

スポンサーリンク

大学受験失敗。そして学歴コンプレックスへ

自己紹介の【自己紹介】ケイマツモトって誰なん?人生をエピソードと共に大公開!でも書いていますが、高校は群馬県でも1、2番に進学校でした。

周りは東大、京大、東北大、慶応、早稲田とモンスターだらけ。w

その中にいると、自分も当然のように学歴のいい大学に入ることを目標にしていました。

しかし思った以上に部活のラグビーが大変で、部活が終わってから家に帰るのが22時とかはよくあること。

なので「予習、復習、課題」は全くできず、高校3年生になるときには300人中290番とかになっていました。

さすがに焦りましたが、「まあどうにかなるっしょ」とそのときは楽観的でしたが、、、。

まさかの右手骨折

部活はセンター試験があるので3年生になるときに引退したり、夏前には引退するのが普通です。

しかしラグビーは冬のスポーツなので11月に県の大会があるんですよね。10月の県大会前に他の高校を何校か招待して練習試合をしました。

そのときにペンを持つ右腕を骨折してしまいました。

センター試験3ヶ月前、県の大会1ヶ月前の出来事です。

そしてもちろん最後の大会は痛みを押し殺して出場しましたが、決勝で破れ敗退。勉強の一本になりました。

センター試験の意味とは?

右手の骨折が治っていなかったのでセンター試験2ヶ月前くらいまではペンをうまく持つことすらできていなかったんです。

ご飯を食べるときは左手でお箸をもっていたほど。

ペンが持てないので、考える、覚えることが多くなりました。

そんな時に、ふと天から「センター試験ってその後の将来に役立つことあるん?」という疑問が舞い降りてきました。

精神的に追い込まれていて、勉強しない理由を探していた僕は「センター試験は意味ない」という答えを受け入れました。

それが終わりの始まりだということを知らずにw

家で勉強するといって机に向かってもズーーとスマホをいじる毎日

途中でお母さんがコーヒーを持って来てくれるときだけ、やってるフリをしていましたね。w

ケイ
ごめんなさいお母さん。

そしてセンター試験

まあできない、できない。

もしかしてワンチャンあるかなと思ったんですけど、志望校が8割くらい必要だったのに取れていたのは6割。

ここで「あ、相当やばい」と思ったときには遅いんですよね、いつも。

もちろん親には「うーん、まあまあかな」とか言ってましたけど。w

浪人は嫌だったので、センター試験の配分が低くて2次試験の配分が高い地方国立大学を見つけて受験しました。

なぜかその年は簡単で、僕の得意な記述だったので一応は合格できました。それでも高校の中では最底辺大学。

正直プライドはズタボロ。恥ずかしくて学校も行きたくありませんでしたね。

友達に言われたひとことでとどめ

ラグビー部の友達と集まる機会があって「どこ受かっただの」言い合っていましたが、そのとき頭のよかった、いい大学に受かった友達から

「社会に出たら学歴がすべてだから、俺は勝ち組」という言葉をありがたくいただきました。w

その瞬間から僕の学歴コンプレックスが幕を開けました。

大学に入ったら面白いことがあると思っていた

とは言うものの受かった地方国立大学には入ることになったんです。

学歴コンプレックスを引きずってはいたものの大学には淡い期待を寄せていました。

「新しい友達ができて、楽しい授業が受けられて、充実するかもしれない」

「大学で実績を残して、なんとか見返してやりたい」と。

大学の現実は

地方国立大学の現実は悲惨でした。

授業は面白くない、教諭も面白くない、遊ぶところがない。

絶望し、一気にすべてのやる気を失いました。

友達も少しはできましたが、表面的な付き合いだけ。

サークルにも所属しましたが、飲みサーみたいなサークルで週に2~3会くらい飲んでいました。

非生産的な日常が続き、そのことにも慣れていました。

しかし心はまさに暗黒の中にいました。

アルバイトをするが

大学1年生でアルバイトもしましたが、続きませんでしたね。

特にアルバイトの前日に飲みに行って、吐きまくって、次の日にグロッキーで行くことが続いており、「なんかもう」という感じでした。

無断で欠勤することもあり、かかってくる電話も無視していました。

ケイ
今ではありえないw マジで相当やばい。w

怒りくるった社員さんが実家に電話をしまくるということがありました。

その社員さんも変な人だったんですがw

そのおかげ母から「さすがに、けりつけなよ?」というメールが来たので、ないと先にメールを「やめます。」とだけ送ってアルバイトをやめました。

マジでクズ人間ですね。

この辺から記憶がほとんどありません。

特に仲いい友達もできなかったし、大学に行くのも面倒だったし。

気がついたら3年生になっていた

冗談とか抜きで気がついたら3年になっていました。

何をやったかと言われれば「飲み会」「ゲーム」それだけ。

ほんと人生が終わってましたね当時は。

ずーーーーーと学歴コンプレックスを引きずって、自分に自信もなくて、ただひたすらに生きているという感じでした。

正直辛かったですけど、自分を変える勇気さえも失っていたんですよね。

冒頭にも言った通り、後から聞いたのがこの時期は親と兄弟から「クスリやってる。宗教入ってる」とガチで思われていたらしいですw

ケイ
やってませんでしたけどね、それくらい変わってしまったんだと思います。

スポンサーリンク

さすがにやばいと思って海外インターンへ

もうさすがに「このままではやばい」とふと思ったんです。

小学生のときからなぜか「社長になりたい」という夢があったので、社長にはなれなくても「かっこいい大人になりたいな」と思うよになったんですよね。

そしてちょうどそのときにできた友人が「カンボジアにインターンに行く」というので、真似してマレーシアに10ヶ月行くことにしました。

その環境を思い切ってを変えてみるという決断が自分の黒歴史であった人生を変えてくれました。

インターンの話はこちら
僕がマレーシアインターンでどんな仕事をしていたのか?1日のスケジュールは?

人は変われる。黒歴史はやがて笑い話になる

ここから学んだのは人は変われるということです。

どんなによくない状況であったとしても、「変わろう」と何か行動を起こしてみるとすんなり変わることもあります。

一方でも変わるための行動をする自信がないというのもわかります。

でも今変わらなかったらそのままずっと変わらないままです。

どんな人にでも黒歴史はあります。

ただみんなが今幸せに生きている人たちはそれを乗り越えて来ているからです。

そしてそれは成長痛のように痛いこともありますが、終わると成長しています。

ちっぽけなことに見えます。

そしてその黒歴史は後で思い出したときに笑い話になります。

僕自信もこうしてブログに晒しちゃってます。

もし今悩んでいる人がいるのであれば何か小さなことでもいいので動いてみたり、人や親に相談してみてください。

もうその時点で、それは黒歴史として過去のことになってますよ。



スポンサーリンク



スポンサーリンク